私の現在までの研究・教育概要は、その内容としてはメディア芸術、その中でも漫画・映画・アニメ、そしてアートに関する事である。これには、国際学会等における発表・アート作品制作から、芸術史および作品研究クリティックまで含む。また映画祭における映像作品の製作上映を個人的、そして学生たちとともに参加した。ドクメンタやサーチギャラリーロンドン等での展示を実際に見に行く事で、自主製作および講義、学生制作へフィードバックした。この領域における教育に断続的に十年程関わった。

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 芸術は、芸術論と共に、実作を学生たちを中心にして実作していくことで、セオリーが血肉になっていくという面がある。また、それは居住する地域を題材にした作品の考案とも関わってくる。シンプルに故郷を映像の舞台とした考察もあったし、歴史的な土地の魅力と絡めた作品の考察もあった。私自身、歴史上の人物に、ファンタジー性を持たせたキャラクターを創造し(それはキリシタン大名・田中吉政に関するファンタジーだが、私の出身地近郊のかつての国主・田中をテーマとした)カナダで発表した。1つ1つは草の根的な文化交流だが、それが積み重なっていくことが文化的国際交流となっていく。宗教・神話と芸術との繋がりをリサーチすることで、そこにある共通性や共存思想を見出そうとした。実際に海外の遺跡などを見に行くというフィールドワークは、資料から得るものとは別のリアリティや実際感があると分かり、その感覚を作品によって伝えることの面白さを出来るだけ講義した。映画・アニメ・漫画におけるシナリオ創作論の研究を、スピルバーグを皮切りに、キューブリック監督の『2001年』のような60年代アートハウス・フィルムに至るまでの分析を通し、講義に繋げた。作品制作においては、漫画を漫画誌に掲載していただくなどの活動を含め、漫画が日本における芸術として、いかにその歴史を創って来たかを研究し、2016ラトビア芸大にて開催された「芸術の未来」コンベンションにて、CUMULUS国際芸術学会プレゼンテーションを行った。ヨーロッパの研究者たちと触れ合うことで、体感的に国内型のものの考え方から離れた場所から客観的に日本のカルチャーを考えることに繋がっていった。それは、今後あるべきユニバーサルな姿について予兆となっている。ユニバーサルな世界を知ることで、個々のカルチャーの面白さも理解できる。漫画は、世界各地に存在する1つのアートフォームだが、日本における独自の発展も世界で注目されている。日本の子供~大人までのカルチャーは、漫画(そしてアニメ)抜きに語ることが難しい程に浸透している。これは、現在、世界の芸術の未来へと影響を与えている。漫画をいかにして制作するかの実技授業も担当していた。キャラクターづくりや、イラストレーションとも連動。キャラクターは、あまりにも浸透して気付かれにくいが、漫画の成功はキャラクターに左右されると云われている。そして、世界観、ストーリー等が加わる。漫画は物語芸術の1つでもあるが、映画と似ている。映画監督、アニメ作家、漫画家を同時にやっていくクリエイターがいるのも、その意味では自然なことである。私の興味はとくに、映画・映像、アニメ、漫画に向いている。実際に映画を現在も作り続けている。それは、自作の漫画をベースに映像にしたものもある。国際映画祭でも上映させてもらっている。


 インドの映画祭にて、自作品をセレクションして頂いたことがある。(残念ながら実際にインドへ見に行く事が出来なかったが)感性が国境を超える、というのは面白い。感性によって表現する、という点において、イラストレーション、漫画、映画アニメは親戚だ。それには古典的な美術も絡んでいる。現代芸術とルネサンス古典芸術とのリンク、その影響はすでに様々な研究もあるが、発想の原点として大切なこと。私自身、絵画制作や美術史(特にキリスト教美術・個人的にもキリスト教美術芸術の製作を行っている)研究もする。次世代芸術教育というのは、文化のボーダーを超えていくもの。文化のボーダーを超えた場所に繋がっていくことはネット時代では比較的簡単になっている。しかし海外へ出かけていき、体感的に繋がるという学び方・参加は、私の方法論であった。この延長線上に今後もあると考える。(了)